真摯なものが見たかっただけ
主体性のようなものを遅ればせながら得、他人を泣きながら否定してみんなが傷つく、言ってはいけないことを言ってしまう、みたいな状態が長らく続いた。
それは、何かの移植手術をしたあとの好転反応のようなもので、私の中身は溢れてしまいそうになっていた。友達でいること、仲良くすること、ずっと一緒にいること。気にかけること、よりも、優先していいことがあるなんて気がつきもしなかった。
私は私がわからない、他人を傷つけないようにしたらいいのか、人として傷つけなければいいのか、女として傷つけなければいいのか、わからなくなる。女として人の期待に応えなくても、その人が具合が悪くなってしまったり、死んでしまったりしたらどうしようとか思うと、何がモラルなのかわからなくなってゆく。知らないよ、という感じだけどね。
どうしたらいいんだろうと思う。女子どもに与えられる役割をやらないのなら、私はもっとつまらなそうな顔をしていると思う。笑顔でいるのは誰も傷つけたくないからで、本当は、人が取った選択肢に、興醒めしたり、苦しくなったりすることがある。
なんというか、母性みたいなものも引き受けられないなと気がついてきた。何もかもが面倒臭い。人に承認を求めず、みんな自分が満足いかせたいものを満足いくまでやること以外で満たされることっていうのはないのではないかと思った。
恋愛ってくだらないと思う。結局同じ盤をシェアしてない人とは噛み合わないし、先行きもない。友達になることもない。ロマンスよりもシビアなのは、その人がそこにいる地点が、相手とどれだけ噛み合ってるかでしかなくて、誰のことが好きかとか、お金持ってるかとか、スペックがどうかとかより、それが大事だと思う。世界観が噛み合ってるかでしかないと思う。
あと、全然違う世界観に流されるのが楽しい時は、それくらいのエネルギーが相手にあるときだけだよなぁと思う。
結局自分が普段いる友達とかと、相手が噛み合うかでしかないと、馴染むかでしかないと思う。女の子だから、という理由で人に好かれたところで面倒臭いなという結末に至る。特に面白くもない。不用意に人を傷つけたくないので、あんまり余計なことはしないでいいかなと思う。冷やかしで受験する会社や学校は、双方にとって失礼だと思うから。
なんというか、はなから決まってることって結構あると思う。私は女の子みんなに優しくしたい友達でいたいと思ってたけど、数年前に目撃した、ちょっと車に轢かれそうになって「チッ」と舌打ちした女の子のことが忘れられない。
その子は「お母さんヤンキーだったんで」と言っていたが、ギョッとしてしまって、数年私の心に残っている。そういうことなんだろうなと思う。
こうやってまた主体性で人を傷つけている。人を傷つけないように、自分の中に潜るんだろうなと思う。あまり外に出ないで生涯を送ろうと思う。
車に轢かれそうになっても、そんなに動じずに、「虫のいどころが悪かったのかしら?」というくらいの方がエレガントだ。
お母さんがヤンキーで、自分も舌打ちをしているということを肯定しないと倫理的に間違っているかと思ったけど、やっぱり苦しい。彼女が嫌とかではなくて、多分なるべく上品でエレガントな方を目指していきたいと思うのだ。
そう思うのだ。
全然そうじゃない部分の方が多いけど。それでもそちらを目指してないと傷ついてしまう。
人が多く集まった催しとか大人数の飲み会とかで、他人の靴とかを気にせずにどんどん踏み潰していく人を見ると泣きそうになることがある。
心の奥がめっちゃ傷ついて、その情景が忘れられなくなる。何かの夢なんじゃないかと思う。
そのくせ、私の部屋は綺麗じゃないけど。でも、そういう、嫌なことを嫌だと言えない弱さが、こういう綺麗じゃない部屋を生み出してるんだろうなと思う。
だって靴を踏み潰していくなんて、ものすごく品が悪いじゃん。それは弱いということで、品が悪いものを品が悪いというのは弱いものいじめだから良くないかなぁと思ってたんだけど。
でもね、めっちゃ苦しい。そう言えば最初に予備校のバイトを辞めたときも、そんな理由だったなと思う。そんな理由だったな。
私の人生は私のものだから、人を嫌ってもいいし、視界に入れないものを決めてもいい。
私くだらないかもだけど、なんか、なるべく綺麗であろうとする方向に向かう方が好きだ。
人のことを嫌いになりたくないから、いい料理とか、いい縫い物とか、いい言葉とか、そういうことを頑張っていこうかな。ケアとか言ってたけど、関係性そのものより、絶対的な丁寧さとか、倫理的な態度、とか、もっとなんか概念めざした方がいいんじゃないかと思った。
母が自死したことを気に病んで、人のことを全て肯定しなければいけないんじゃないか、と思っていたから、スナックとかバーのカウンターに立ったりしてたけど。いろんな男性の自己主張というか、俺の頑張ってきた演芸、みたいなのを見て、苦しくなっていた。だって素敵じゃないし、この人たちのお母さんじゃない。それでも、この人が今社会に居場所がなくて誰かにその存在を受け取ってほしいと思っているならと思って、私は私の命の時間を削って聞いていたけど、それってやっぱりおかしい。おかしいのだ。みんな人に聞かせるなら一生懸命やんないといけないし、人に聞かせるとかじゃなくて自分のためにやんなきゃいけないんだ。だらしない男の人の犠牲に、私がなる必要がない。だらしがないのである。それは欲しがりすぎである。わたしの関心までは上げられない。ご飯を食べて、お風呂に入って、あたたかい布団で寝てほしい。幸せでいてほしい。そう願うだけで、そう願うだけで良いでしょうか?男の人に生まれたことがないからわからないけど、それでも存在意義とか、俺の俺たる所以みたいなのを見てほしいのかな?でもそれってなんか、性欲なんだよなぁとかもシンプルに思う。求愛行動みたいな気持ち悪い音を聞かずに、私は美しい作品だけ見て、美しい作品のレビューをする。なんというか、そうあるべきだと思う。先人たちの素晴らしいもので私の目と心は潤されるべきで、今生きてる人間のエゴに塗れた自分の存在意義を確かめるような、謎のプレイに付き合わされる必要はない。女というのには枠がないように思えた。幼稚園の先生のように笑顔でいないといけないと思った。でも本当は嫌だ。私は私の見たいものを見る。見たいものを見て、そういうものがよかったよって話をしたい。結局「よい」ものの良さの話をしたり、もっとよいものを後世に残していくしかないのに、みんな自分がすごいと思われたいことで精一杯で気持ちが悪い。どうしてこんなに幼いんだろうと思う。大人が幼いなんて算段に入れてなかったし、私は若い女の子ではあったが、そういう存在に甘えてくる大人の男の人というのが、ここまでひどいとは考えても見なかった。幼児である。
若い女、もしくはロリ、みたいなものって主体性がそんなにないから実質自己の輪郭が緩いから、母のようなものだと思われている気がするし、魔法少女的な巫女的なもの、アイドル的なものもそういう特性を持っているから、私は善良なヒロインでいたいという想いから、引き受けすぎてしまった。あなたの楽器って、下手ね!あなたの料理ってまずい!あなたの小説はゴミ!なんていう魔法少女は見たことない。見たことがないね。でもそうなりたい、巫女ではなくて個人だから。
求愛行動をやめてほしい。周りを巻き込んでステージングするのもやめてほしい。一生懸命努力してほしい。あと自分が脚光を浴びたいんじゃなくて、自分の中で、美しいと思うものとか、到達したい地点とかがわかってないと、ダメなんだ。そことの比較で自分と勝負するのに、体当たりみたいに、変なもの人に見せたらダメなんだ。書いてて思ったけど、これって思春期以降の認められたいとかではなくて、お母さんに見て見て!ってやるのと同じなんだよなぁ。彼らが肯定されるのはもっとこの社会の人権意識とか、仕事以外で受け止められる場とかで、私に精神的ちんこを押し付けてくることではない。しんどかった、つらかったやっぱり。でも、ずっと周りが優秀な人に囲まれてきたから、興味の有無に関わらず、大学の文化祭に行けば、プロフェッショナルのプロフェッショナリティが輝いていた。
男子チアは、男の子たちの身体が鮮やかに宙を舞い、バスケットボールをアクロバティックに動かしてダンスをするようなパフォーマンスサークルの子達はドリブルの音を心地よく鳴らす。ミュージカルでは照れることなく完璧に真剣にやり切る。そこには、おじさんの手慰み、みたいな感じが一切ない。私は人間のベースのレベルをここだと思っている。多分それがずれていたんだろうけど。
子どもの時にパパの会社のパーティーで、下手なマジックを披露した人がいて気持ち悪いと思った。パパには、あの人プロなんだよ、と言われたけど、みんなが気を遣って見てた時点でプロではない。男の人のこういうものが本当に苦手で、子どもの時から大嫌いだった。なんでこうなるのかわからない。何かがずれている。
飲み屋のバイトを始めた時もそこの社長が新店舗オープンで下手なトランペットを披露したことがあり、びっくりした。これでいいのかと思った。
なんというか年長の男の人って、主観と客観がものすごくずれている人が多い気がして、辛くなる。私は傷つけたくないからたくさん嘘をついた。
でも私が私を傷つけているように思う。女だからとか男だからとかも関係なく、私は好きではないものに時間を使わなくてもいい。私を縛り付けていたのは、そういう、未熟な年長の男性たちの依存心で、それを断ち切ることができなかった。哀れすぎて。そして私が悪い子になるのが怖くて。
でも、思うのだ。なるべく、なるべく上品であろうとしたり、なるべく上手くなろうとしたり、シンプルにかっこよくあろうよとおもう。
女はいつも観客にされる。求愛行動の通過地点にされる。でもこちらはこちらで目指すものがあったりするし、別に人に見てもらわなくても良かったりする。なのに、レベルの低いものが遅いかかってくる。やめてほしい。
自分の中の悔しいとか、ダサいかもとか、そんなに激しくなくても、純粋に他人に喜んでほしい──でもこれ思ってるのか多分──みたいな気持ちを大事にしてほしい。母親じゃないと喜ばないレベルのものをまだ愛されると思って、稚拙なまま丸出しにしてる人を見ると哀れに思う。頑張ってほしい。ちゃんと幼児を卒業してくださいね。と思う。
わたしは愛されたいという需要に応え続けるとキリがないことに気がついた。ダサいもん。ダサいものは愛せない。むしろ、自意識が強くて、本当はすごいのに、それを隠すような子たちとばかりいたから気が付かなかった。恥がない人間の面倒を見ると、限界までゴミのようなことに付き合わされる。
魔法少女はこんなことは言わない。こんなことは言わないから、魔法少女になれなくなる。こんなことで魔法少女にならなくなるなら、魔法少女ってなんなんだと思う。レベルの低いことすんなっていってんの。
ちゃんと大人になってください。大人になんか一生なれないから、すてきな大人になろうとすることがずっと若くチャーミングでかっこよくいるために必要なんでしょう。
傷つけてもいいからいう。見限る!!!
そして、この主体性が他人をもう傷つけないように、私は私の人生をやっていく。誰かの鑑賞役をやめる。誰かを喜ばせるために笑わない。"女"をやらない。わたしがやりたくてやったんじゃないの。悲しませたくなかっただけなんだけど、もう限界!!!
私は私が見たいものみる!連続テレビ小説とかたくさん見る!そんな来年にしたいな。ママが死んでから10年!の私!おつかれさま!!!バイバイ!!! あと何の覚悟もなく幼いまま突撃してきた大人の男性陣!!!死ぬほどダサかった!!!!!憐れまれてたよ!!!!!
私は何も応援したくない、何も褒めたくない、何も肯定したくない。もしそれが女なら、女を辞めたい。女でなくなってもいい。女をやるなら、私のやりたい女をやる。中原淳一の描くような女の子になりたいな。

ちらし寿司うまいでしょ。こういうのつくってみせて。だるいことしないで。自分の承認のためじゃなくて、純粋に他者にささげて。気持ち悪い事を今すぐに辞めて。そういうものに触れないように残りの数十年は生きていく。高みを目指すしかなくて、美しいものしかなくて、美しくないとしてもなろうとしたものや真摯なものは胸を打つから。
そう!そうなんだよ!巧拙じゃない。真摯なものは胸を打つんだ。真摯なものを見せてくれなかったね、という事を思っているのかもしれない。私が甘やかしたから?私が真摯じゃなかったから?わたしは優しさに真摯だったよ。迷ってたけど。
わたしに見せるものに、真摯であってほしい。
わたしに見せる生き方に、真摯であってほしい。
真摯であってほしいと、思っている。
真摯なものだけが、わたしの前に現れる、2026年でありますように。
願わくば、わたしが死ぬまで、ずーっと。
もう辛い思いはしたくない。
自分にさせたくない。
死ぬ前に覚えておきたいこと
友達と飲みに行って、私は死ぬ前に覚えておきたいことだけを覚えているのかもしれないと思った。
彼らと飲んでいる時に、彼らと初めて仲良くなった日のことを幻視する。カフェの奥の席で話した時の私の席から見える角度と、彼らが座っている姿、その時私の心が軽くなって、緩んだ状態だったこと。照明の灯り、丸いテーブルを2つつなげて、いたことを思い出す。

あの時私は18歳で、大学に入って初めてできた友達たちと飲んだ後カフェに行って嬉しかった。
新歓の飲み会も、バイト先の飲み会も合わなくて、それでもちゃんと話せる人たちがいてって思った気がする。
その日はわたしが、弟が不登校になってしまって社会の正解の家族でなくなってしまったかもと思っていっぱいいっぱいだったのに、彼らは、自分はお兄ちゃんも弟も不登校で、真ん中の自分だけが優等生で、みたいな話をしてくれて、体育の授業なんてさぼるもんだよ、みたいな話を他の2人がしていた。
私が「体育の授業なんてどうやってサボるんですか!?」みたいなことを言って、逆にドン引きされたりした。心が軽くなった。人に心があって、人が優しくて、わたしが世界とはこういう規範で動いている、と思っていた外側にちゃんと人がいて、そういう揺らぎの中を生きていて、わたしを落伍者にしなかった、彼らが編んでくれた文脈がわたしの存在をそっと包んでくれたのだろうなと、今書きながら思った。
こうやって、10年経ってみて、今日初めて言葉にしてわかることがある。今のことは過去のこと、過去のことは今のことで、「わたしが彼らの文脈に包まれた」と、29歳のわたしが言葉にしたことで、わたしはきっと、未来も大丈夫な気がした。
何もかもが変わっていって失われたように思える時間を語り直して、加護に変えることができる。お気に入りの映画を何度も見返したりはしないけど、お気に入りの思い出は擦り切れるまで見る。そんなことで精一杯だから、全然映画もドラマも見られやしない。擦り切れるほど好きなシーンを見ている間に、私は死んでしまう。
大好きなシーンがたくさんあって、頭の中はそれでいっぱいで、その他の生活に必要なことが、溢れてしまうことがある。業務内容とかで、何か追加で覚えなければいけないことがあるなら、最低限に抑えて、本当は私の記憶の容量は、その、大好きなシーンに使いたいと思っている。
『窓ぎわのトットちゃん』を6歳の時に読んだ時に、大人になるまで、こういうことを覚えていれば、こういうものが書けて、いつでも思い出せるのだ、と思った。日々が終わっていくこと、何かが失われていくことだけが悲しく、毎晩喪失感に怯えていた私は、いつか、自分の思い出を書くことがある日のために、よく記憶をしようと思った。
それで早速日記をつけ始めればよかったものを、だらしのない性格なのか、なんとなく、気合いで強めに覚えておくことにしたことだけを覚えている。
その時の自分の小さい身体の感覚とか、ベランダと部屋を隔てる大きな窓のヘリに座っていたこと、そのときカーテンに絡まるようにして自分の身体を包むと、部屋とカーテンを隔てて、外の光を受け止めて私だけを包む1人用のサンルームのようなシェルターができて、あったかい。
4歳くらいの頃からハーブティーと称して、壊れにくいガラスでできたコップに、庭のパセリをちぎって入れてそれを飲みながら、本を読むのをかっこいいと思っていた。そのよくわからない、飲み物のパセリの匂いも覚えている。
幼い私は、なぜかそれをいいドリンクだと信じていたので、家族が風邪をひいたり、ぎっくり腰になるとよく飲ませていた。こういうことをしてた時がいちばん楽しかった気がする。ミニマムに暮らしたい。そういう話か?
私が今、一人暮らしの部屋でベランダの窓の淵に座り、カーテンに絡まって、ハーブティーを飲みながら(本物のでも、謎パセリドリンクでも)、本を読んでいたっていいんだと気がつくと、泣きそうになる。心が4歳になる。わからない。
私の幸福は、外の日差しを、カーテンに受け止めて、それを小さなシェルターとして、その中で本を読んで謎のドリンクを飲むことにあるのかもしれない。幼い頃最も幸福だった時間のひとつだ。これ、100歳までできるのか。やば。
もし他者と幸福のありようをを比べなくていいのなら、私はこれを完璧な幸福と呼べるかもしれない。カフェに行く、なんて選択肢を知らなかった頃の、身体の覚えている記憶の方が私は幸福だった。
とか、考えていると、あ、今小学2年生の時に行った航空公園の遠足のこと思い出した。大きい飛行機が泊まってるの。オリエンテーリング、っていって先生が、仲間同士で解くミッションみたいなのを準備してくれて楽しかったのを思い出した。急に場面が切り替わる。記憶の蓋が開く。嬉しかったな、ありがとう。あれ準備大変だったかなぁ。もう、21年前の話か。
こうやって全てのことが雑然と頭の中にある。そして死ぬと全てを忘れてしまう。なくなってしまう消えてしまう。そのことが寂しい。
全然働きたくないなー。しばしば、私が主婦になって家事をして生きていきたい、というのは、こういうことを、ずっと限られた大切な人のことを覚えていたいからで、自分にとって、どうでもいい人が人生に登場することそのものが嫌すぎる。些細なことをいつまでも覚えていたい。
今日の飲み会で会った2人が、並んで座って揃っているだけで、私の頭と心と身体は過去に戻ってしまう。一浪してただけなのにすごく大人に見えた19歳の彼と、初めて一緒に大学の友達として一緒にスカイツリーへ出かけた18歳の頃の彼女を思い出す。その時に買ったかんざしのこと、髪の毛を留めた時の感覚、全て覚えている。
あぁ!初めて鍋パをしたときに、申し訳ない程度にキャベツを切ったこと!それでお酒を買いに行ってた鍋奉行の家主に怒られたこと。男の子たちがコンビニで買ってきてくれた飲み物にはたしかスミノフがあった気がしてて、そこは葛西のコンビニでセブンイレブンだったんだけど、確かお酒の品揃えがいいの。いつも買い出しに行ってもらってたから、私結局そこは直接行かなかったんだっけ?
今日も、10年前が全部同じ場所にあるの。急に10歳くらいの時の教室の学級文庫の様子が頭の中に浮かんできたりするの。ボロボロなんだけど、なんか妙に読みたい本とかあってさ。授業中にそっちばっかり見てた。
名前順が後ろの方でちょうど学級文庫の脇の席で、ずっと読みたかった『秘密の花園』と、あと塾でエッセイを読んで気になってた俵万智の『サラダ記念日』があった。短歌というのを認識してないので、なんか、本を開いてちょっとしか字が書いてないな、と思ったこと、そのときの感覚すら覚えている。学級文庫の匂いを覚えている。
そうやって目の前の風景と、目の前の人に折り重なった時間が全部入り混じって見えている。いつか死んでしまうからさびしい、そう言うことなのかも知らないと思う。私の頭の中はそんな思い出でいっぱいなのだ。だから、過去の記憶が薄れるということはない。相手の中に全ての時間が詰まっている。
10年前の喫茶店と、今日の居酒屋は同じ。私と出会う前の彼や彼女の話だって、彼らという存在に紐づいて、追加されている。人がキャラクターのように見えていると思う。そのことが変わっていると人に指摘されたけど、私にはわからない。わからないのだずっと。
昔一緒に行ったラーメン屋のラーメンの匂いも、みんなでBOOKOFFに行った時に、初めてPOPEYEを読んでる男の子を見たなぁと思った時も、待ち合わせに遅れて現れてみんなに会えて嬉しいと泣いた彼女も、全部が凝縮している。
大好きなのだ、多分。すごく好きなのだ。記憶に残る思い出は全てが純粋で、私の頭の中に焼きついている。心に念写された風景がある。私の心に、焼き付いてはなれない。でもいずれ死ぬ。死ぬ時には全部返さなきゃいけない。悔しいなぁと思う。私はあらゆることができない、というかやる気がない。死ぬことにだけあらがいたくて、記憶を保持し、食べ物を食べ、好きな人と過ごすことがしたい。これって労働市場に出ずに、普通に家にいる主婦だったら何の問題も無かったのにと思う。だからスナックやってるんだけど。限られた世界で、日々を、愛おしいものとずっと過ごしたいのに。
愛おしいものとは、つまり、純なもの、なんだと思う。
私にとって、純なものだけが本当で、それに出会うために生まれてきたと思っている。世界の内側と外側がよくわかっていない。自分が思っている範囲と思っていない範囲がよくわからない。いまいち現実のことがよくわかっていない、などと言って友人を今日も困惑させた。
この世界?(わかんない、なんか、世界?みんな何見えてるの?)は全然ちゃんとしてなくて気が狂いそうで、だからみんなおかしくならないように生きてて、インターネットで私が発狂しているのを見ると本気で心配してくれる友人たちだ。
でもわからない、怒るのをやめたら死にたくなる。わからない。先日リプライでやり取りしてた人が世界に対する強い怒りがあると言っていてよかった。なんというかこの不完全な世界に生まれ落ちて、みたいな怒りとかでもなくて、なんだかよくわからない。というのが実感である。
「なんというか俺たちは世界はそんなものかなぁと思っているけど、多分世界をまだ信じているんだよね?」といわれて、信じてるも何も、あなたたちといると、「そうだなぁ、至極真っ当だなぁ。優しいなぁ幸福だなぁ。」と思うことが多いし、信じる理由がこんなにあるのに、なんで別の場所にいるとバグが入るんだろうと思っている。ていうか、境界がよくわかんない。「あぁ、アスペなんでスルーしてください」なんて自虐したりして。ワラ。せっかく生まれたんだから私の美しい目に、よくわかんないもの映すなっていってるの。
小1の時に、初めて小学校に行った日に、登校中に知らない男の子に「おばさん!」と言われて大泣きした。意味がわからないからだ。膜を持っていればよかったんだけど、なんか登場してきて泣いた。そんな感じで小1のときは毎日なんらかの揉めを発生させて大泣きしていた。そのくせ皆勤賞。謎すぎる。たぶん本当に他人と過ごしたくないし、インターネットに不向きである。好きなものだけ目に入れたい。や、みんなそう思って生きているのかもしれないけど、本当に気に入らないものが出てくるのが嫌。
だから本当に1人でできたり家の中にいられるように生きていった方がいいんだろうなぁと思う。
私は関係性というかなんか、自分に都合のいいことしかあんまり見えてなくて。
友達が、「今自分と相手との関係に起きていることが外側にも同じように広がっていると思っているみたいなものの見え方をしているってことだよね?でも、認識の外側で、別の世界があるだろうと思う人がいて〜実際はー、」みたいな話を始めてきたけど、やっぱりよくわからない。しらん、私が見えてない世界のことは、知らん。
私がサザエさんの中にいるならサザエさんの外側のことはよくわかってないと思うし、こち亀なら亀有の外はよくわかってないと思う。逆になんでみんな、自分が目の前で今起こっていること以外の構造が外側にあるみたいなことを意識して行動してるのかわからない。たぶん私がものすごく主観にめり込んでいるんだと思う。
定点カメラのように、私の好きな人たちの記憶がそこに積み重なっている。それが私のすべて。そこで起こる関係性以外のことはなるべく減らしたくて、エラーは総カットしたい。だからなるべく家にいたい。あとは知らない人と会わない仕事がしたい。なんで知らない人と会わないといけないのかが不明。魂が美しくない人は、出てこないでほしい。美女と付き合いたいとか、いい家に住みたいとか、出世したいとか、世界遺産を見にいきたいとか、そういう目標がゆるされるなら、基本的に嫌なものとの遭遇率を下げたい。カードの枚数を減らし、その枚数の中で大切なものとの時間を繰り返し当てこすること、がしたい。
たぶん物語が好きなんだろうなと思う。
そうなのか?物語じゃなくてもいいんだけど、記憶とか、愛とか、そういうこと?いい場面を覚えて、相手と自分を紐づける記憶を繰り返し重ねたいんだろうなと思う。なんでよ、母親と子どもとか、家族だったら仲がいいねってされることなのになんで私は変って言われるのかもよくわかってない。地元のお祭りにずっと気合を入れてる男性とかもいるじゃん。私たちからすると、へー、と思うけど。私は私が思うミクロな祭りを生きていて、なんかそれ以外のことが本当にどうでもいい。
友人が急に、改めてセカイ系の解説をしはじめたけど、セカイ系もなにも、何?「結局世界が終わる!って時にそれでもこの人を選べるかって話で!」とか言い始めたけど、本当にマジレスをしていいなら「よくわからない、世界は最初から終わっていない、超どうでもいい」みたいになっている、もはや世界すら終わってない可能性がある。選ぶとか選ばない以前に、最初からその人(たち)のことしか見えてなくて、その外側は火災でも、火災と認識していないに近い。
朝目が覚めてここがたとえ火の海でも
気付かないくらい
幸せな夢を見るわ
ぼくらがなにかを変えるため生まれたなら
こんな音楽も本当はいらないだろう
やー、すてきですねえー、と思うんだけども。ここで戦う姿勢を見せた方がかっこいいんだけど、もし本当に思ったことを言っていいなら、なんか、夢ということになってますが、夢ですか?ってなる。めんどくさいよ、ロマンティック終わっていいですか?わからない、火の海が夢なのでは?え????みたいな話をずっとして友達を困らせている。わからない、私が見ているものはなんなんですか、俺に正解を教えてくれ!!!!えー!!!!あれかも、私が生まれてきた瞬間に世界が始まったから。えー。しらんー。えーーー。誰ですか、火の海にしてるの、やめてくださいー。みたいな気持ちでマジで生きてる。消すのもだるいため、とくにセカイ系でもない。何も起きてない系。
こう思えるのは昨日話のわかる友人たちと喋って私の文脈を受け止めてもらったからで、多分そう思えるだけで、1人の時なら確かに火災の中で夢を見ているみたいな感じになっているのはわかる。
はいはい、みんなを外の世界から守るシェルターをね、私がつくったり、連れ出したりしてね。は?っていうか最初から私はここにいるんですが…。なんでこれが現実じゃないんですか?え、みなさん、何!?!?!?!?何〜!?!?
特にアナーキーである必要がなかったんですね、六畳一間で最もいい政治をしてたんで、あんまり、よく認識してませんでしたね。六畳一間is world!!つまんなゴッホだ。
本当に本当に思ってることを言っていいですか?わからない、最初から火災でしたか??
まあ究極そうだが、世界が終わるかどうかすらどうでもよくて、「あばーん」って感じである。ていうか最初から、終わってる世界も見えてない。いらないどうでもいい。
世界は終わらないですが特に、と思っている。ていうか最初から私の世界観は完成されてて、それが外側から崩れていくから余計なもの入ってくんな!みたいな感じですね。
私は、何がどこまで外界で、何がどこまで内側かとか、どこまでが自分の認識で世界なのかとかが本当にさっぱりわかっていない。ずっとわかっていない。別に恋愛でなくてもいいし、世界が終わらなくてもよくて、ていうか、私から見えてるものが見えているものというか、たぶんめり込んでいて、ダイブ的すぎるんだと思う。
マジレスすると、普通に『この世界の片隅に』とかに類される、ダイブ系をリアルで生きてると思う。これ面白いよ。
急に、スンッとしたな。あ、急に冷静になりました。はいー。急に戻ってくるっていう。
『この世界の片隅に』は、戦時下に普通の生活をして、絵を描いて暮らしていた、すず、という女性が描かれて、そこには普通の生活と、それらが戦争の影響によって壊されていく様相が、すずの視点を中心に描かれる。そこで起こる、理不尽な空襲や、戦禍によって、腕を失うんですよね。そして、終戦の知らせを聞いて、すずは、慟哭するんですね。宮台真司がそのことを、それまですずは、戦争を天災のように避けられないものだと思っていたのに、それが、人の号令一つで終わるものだと知った、というところに、その慟哭があるという話をしていて、"そう"なのだ。
私が世界に発狂する時、ほとんどはそう。人間は天災に対して、あるいは病気とか、障害とかの抗えないものに対する、この世に生まれてきた理不尽は理解可能なんだけど、こと、人に関することになると、なんでこんなことに?という気持ちになる。たぶん本当に、自然的なものと、個人の主観が私の中にあって、それだけでできている。書きながら思ったけど、なんかこれって、合わない人も全部天災みたいなものかー。
でも宮台真司も別に信じてないけどな。宮台真司って、このコラムで「便所女」と「奔放女」という言葉を使うんですけど。
最初に断ると、僕の言葉は性的に積極的な女が〈便所女〉と〈奔放女〉に分類される事実に注目したもの。僕の言葉が汚いのは〈便所女〉が大多数なのを告発するためです。〈便所女〉は高橋が嫌悪する「旅する男を身守る母なる女」で、宇野さんが批判する〈フェイク父性を庇護する母性〉です。こうして宇野さんと僕の問題設定は通底します。
でもこれも意味わからないんですよ。なんで男の人とたくさん寝るだけの役割で、軽んじられている人を便所女として侮蔑した言葉で呼ぶのかもよくわかんないんですよ。結局それは、男性が男性の性欲を汚いものとしてうっすら感じているからこそ、その扱いを受けることを好んで引き受ける女を、便所女と呼んでいるわけで、自分の中にあるミサンドリーな気持ちをミソジニスティックに女の人にぶつけただけで、それを、告発とか言ってるだけの、嘘なんですよね。奔放か便所かだけでなく、そもそも、奔放でも便所でもなく、女としての私たちは個で。もし女を突っ込まれてる側の便所と呼ぶなら、突っ込んでる側の男をなぜ汚物として自分たちが扱っていることを透明化してるかを考えた方がいい。
私から見ると宮台真司は男であることを乗りこなせていないような人に思える。ファンの女子学生抱いちゃうし。なんか、頭がいいってなんなんだろうと思うんだけど。どれだけ、母性がどうだとか、フェイク父性がとか、セカイ系がとか、話してても、この人たち、結局身体を置き去りにして議論できなくて、自分の男性としての、全然理論では割り切れない意味わからんキモかったり暴力的な部分があるかもということを、無視してる感じがするんですよね。だから、本当に嫌です。わからない、4歳の頃カーテンにくるまってひなたぼっこしてた話から、頭がここにここに飛んでしまう。
でもそうなんですよ、私は私の身体も、私の性別も私の心も、先にあって、その外からいろんなよくわかんないことが襲いかかってきて、奔放とか便所とか類型されて意味わかんなすぎる。きもいです、と、アーでしかない。宇野常寛っでなんであんな頭いいのにドルオタなんだろうか。悪くはないけど、アイドルに何を期待して何を見てるんだろう、と思う。なんか、女との距離が遠いんだよな。きもいですと、アー繰り返ししかなくないですか。
私は宇野常寛とか宮台真司に類型されたくなーい。謎女、謎女で行きます。
だから私って私が思った膜の中にいて、なんでだー?みたいな、なんでだー?みたいな感じで生きてるんですね。少女であるということかもしれないなー。
明日ここが火の海でも…気づかないくらいし幸せな夢を見るわ…みたいなのも正直よくわからなくて。だって火つけてないもん。火つけてないから火の海なの変だよ。火、なかったでーす。みたいな感じになる。火でしたか?はて?みたいな?変すぎる。変すぎるから普段黙ってるけど、謎すぎる。でもなー、なんか思春期以降つらいんだよな、よくわかんないから、私が普通に生きてるだけなのによくわかんないもの入ってきてだるすぎる。こっちはカーテンに絡まってる自認で生きてるから。
やっぱりよくわかんないんだよなー、ってとぼけてたけど、普通に冷静になってきたらフェミニズム的な話な気がしてきたな、私はみんなのことを覚えてて、過去と今の世界が重なって見えてて😭 私の思い出が😭😭 とか言ってるのも、なんかぶりっこしてるだけな気がしてきたな。普通にフェミニズムの話をしています!!!!個人性の話をしています!!??
男性性中心主義だからこんなことになるんだろ!!!!
外気しね!
と思うんだよなー。他人をなんか刈り取ろうとする感じのエネルギーとか統制されるのとかがキモすぎる。私の文章は読みづらいとか年配の人が言ってきたけど、どうでもいい、書きたいから書いていて、何かに載せる時は何かに載せるとかでそのように書くから!!!
でもここはそうじゃないの。
それってつまり「俺にわかりやすいように伝えろ」ってことなんだよな。悲しかった。
別に私はこれでデビューしたいとか、どこかに何かを持ち込みでやろうと思っているわけじゃなくて、自分を保つための発作のようなものなのに、勝手に読んで勝手に読みづらいとか言ってきて、それはつまり、俺の影響を感じてほしいということなんだよな。
私は私の主観で突っ走っている。だからお前は出てこない。やばい文章だけど好きな人のことはたくさん書ける。好きじゃないし、私の世界にも出てこない。だから、読みづらいとか言ってくる。読みづらいのは事実なんだけど。でもいいのー。読ませたくないから。だから、はなから私の世界から色んなものは削除されてて。出てこなくていいのにと思ってる。
あー、これ、『うる星奴ら2 ビューティフルドリーマー』の話ですか?ていうか、セカイ系ってなに?????わかんない、気に食わない人が勝手に出てくるから、魅力的な人しか出られない私の映画なのに。出られないってのは上からだな。勝手に出てきてしまう。勝手に出てきてしまう人たちの映画。だから、その人たちはすごく素敵だと思う、こちらが惹きつけられるくらい素敵だから、ご出演者の皆様には素敵でいてもらわないといけなくて。お茶飲みます?涼しいですか?寒いですか?ケータリングありますよ!みたいな気持ち。
あとは、後のやつら?出てきてたっけ?みたいな感じなんですよね。ウーン。
わかんないけど帰ってほしい!!!

(お店立ってたらお客さんの青年がいい本持ってた)

わたしの脳を汚すものなくなれー💐
ていうか私が私の脳を汚してるのか。
フーン。
他人他人といいますが
他人他人といいますが、何?他人他人??
わかんない!!他人なんだから気にしないとか言われるけど、よくわからない。うまく境界線が引けないのって私が悪いんですかね。

でも隣に赤ちゃんとかいたら、ずっとその人をケアする状態が続くわけで、あと、細やかな気配りとか、言われますけども。
助けてください!!!助けて!!!自分の中の嫌だとかもうどこにもいきたくない気持ちをどこに向けて仕舞えばいいかわからない!!!
ヒェーーーーーーーーー。
嫌なことを嫌だって認めたら私どうなってしまうのかわからない。エレガントであるってそういうことかー。なんか指針が欲しい。
びっくりする、父方の祖母が母の亡骸の脇で悪態ついたのびっくりする。人は弱い。
なんでそんなことするのかよくわかんない。理由はないんだろうなー。理由はない。すべてのことに理由が欲しいとカネコアヤノが歌ってましたが。
帰りの電車でバカの男が、多分デート中の女相手に自分はアルバイト先で理不尽なことがあると、オヤジ相手にキレてたと自慢していた。女の人はすごいねって言ってあげてた。ぶつかりおじさんの話になって、俺は逆に弾き飛ばしてるね!と言っており、女が「でもガチムチの人怖い〜」と言ったら、「鍛えればいいじゃん!逆に跳ね返しなよ!」と言っていた。「弾き飛ばしてもそのあとがさぁ」と言っていたが完全無視していた。お前はそのしょうもない、バイト先でジジイにキレ返していたエピソードを褒めてもらった挙句、相手の立場には一度も立とうとしないんだな、しないんだろうな、と思った。ダセぇ。
そのあと白い妖精さんの話してた、AIって噂されているんだヨォ。と女の方が話してあげていた。こいつとしゃべって楽しい??
女の方が「でももう奥さんにバレるから〜ストーリーさっきあげたの〜消した」とかいい始めて、「え、お前ら不倫なの!?」とか思って、びっくりした。確証はないけど。なんでこの女の人彼の隣にいるんだ?と思ったけど個人の自由だからなぁと思った。
私がアルバイト先とか出会うバックグラウンド違う男性陣って、本当に、本当に、自分の立場からしかものを言っていなくて、感情がそのまま出ててびっくりすることがある。会ったことがない!!!私の友達は今日のコミュニケーションが大丈夫だったか反省会をするような人たちでそれも考えものではあるけど、私は彼らとずっと一緒にいたい。
昔私のバイト先で人が倒れた時に、医者の知り合いに連絡する!と大声で言い、倒れてる人に無理矢理電話に出させた人がいた、気持ちが悪いと思った。私が救急車呼んでるので、と言ったら、怒鳴られた。気持ちが悪い。自分の虚栄心に気がついてないんだろうかと思ったけど、気が付いてないんだろうな。私も虚栄心だったかなぁ。もう二度と会いたくないなぁ。自分の名前冠してDJやってたけど変だったし。裸の王様みたいな人ばっかりで嫌になる。
あーあ、気持ち悪りぃ!!ミサンドリー撒き散らしたいわけじゃないんだけど、アホすぎる、朝青龍のTwitterみたいになっちゃうなぁ。
小林司は司クンではないし、吉田豪もメンヘラジジイだし、アイドルオーディションはあこぎな課金レースで本当に半グレみたいな商売だしマジでなんなんだ。
なんか有名な批評家とかも笑笑
女来たら嬉しそうなの顔に出てて笑うし、私だけじゃなくて他の女の子も言ってたしなんかしょーもねーと思って。ドルオタの批評家基本的に信頼してない。
マジで距離を置いて生きていく、マジで嫌だ。
自分の領域に嫌なもの入れない。いれないわよ。
あーあ。キモすぎる!
きもちきもいきもーい!!
肉じゃがつくろー。
なににキレてるの?
昨日は地下アイドル業界に怒り、今日はヨガをやろうとしている。男女の違いなのか、私が特になのかはわからないけど、自分と世界が全部繋がってしまってて、切るすべがわからなくなることがある。
エレガントでありたいから、発狂したくない。今まで見たことを全部忘れようかなぁと思う。もっともっと1人になるのがいいかなぁとか思う。
編み物しようかなぁ。なんかもうなんかもう嫌なんだよなぁ。嫌でたまんない嫌で嫌でたまんない。優しくなくてもいいですか?
毎日お風呂入って、ご飯食べて、よく寝て、好きなもの見て、読んで、暮らすの。そうしよう。料理をして。アー。
新しい出会いってあるのかな?私は関係性が薄まるのが嫌で。嫌になる。なんかすごい自分が排他的で嫌になる。どう生きられたら正解かってそりゃ、外気に触れずに死ねたらいいかな。
外気に触れないまま長生きしたい。あーあ。最悪。最悪っていうか最高なんだけど。人に優しく、ってどこまで?巣篭もりの季節。
外気に触れないで生きていきたい。
外気に触れないで生きていきたい。
内面に触れないでほしい
人がしている恋愛に傷ついたり、人が取る選択肢に傷ついたりするのだから、1人の世界に行くしかないんだよなぁと、思ったりする。他人は自分のためにいない。仲の良い友達は、あまりそういう選択肢をとらない人で、もしかしたら私はこういう人たちと残りの時間を積み重ねていけば良いのではないか、と思う。

中高の頃を思い出して具合が悪くなる時があるけれど、みんなあまり考えてなくて、自分のその場の欲望の方が優先なだけだったんだろうなと思う。なるべく多くの人と関わらずに済む仕事を選びたい。この先の人生でそういうものを手にできるようにいろんなものを磨きたい。
普通に、どんなことを言っちゃいけないかとか、どんなふうに世界を見たいかがないんだと思う。
やはり、心が粗野なものに私は耐えきれない。心が粗野な人に耐えきれない。差をつけたらいけないと思いつつ、どこでどんな人たちと触れ合うかで、それは変わってくる。私の人生は有限でらなるべく朗らかな人でありたいと願う。
私には身体があり、身体は感情に逆らえない。どんなに倫理的にみんなにフェアであろうとしても、全てを身体が決めていると思う。頭でっかちになる。
当時悲しかった些細なことを話したら、倫理的で知性的でいい人だなぁと思っていた人がビクッとしてショックを受けてくれたから嬉しかった。
自分が取らない選択肢を取る人とは結局仲良くならないんじゃないかと思う。まあ一人一人違うんだけどさ。自分が使わないような言葉を使う人とも仲良くならないんじゃないかと思う。
他人は他人だな。
地下アイドルとか、ミスiDの頃のツイートがバズったけど、あの世界は変だったように思う。人に差をつけてはいけないと思ってたけど、イベント企画者と名乗りながら、全身がアニメのTシャツで、無料でアイドルと接することが目的の、ひょろひょろの境界知能っぽい男性に、打ち合わせと称して友達の女の子がお茶に誘われて、明らかに接触目的だと思ったのに、止められなかった。そこに悪意はない。無垢な欲だけがある。無垢な欲だけがある、あんまり頭の良くない、少し危うい人と会ったことがないから、私は、この人と関わることが得になるかわからなかった。友達を守りたかったけど、友達はそのイベントをチャンスだと思ってるから、何が「いい子」なのかわからない。
普通に普通の社会を生き抜いたりしてきた人が持ってる野生の勘とか、この人ちょっと危ないかも、みたいなものが、私は、理性と倫理によって、死んでいると思う。そういう感覚はもっと、もっと素直に生き抜いてきた人の方が強くて、ダメだなと思う。でも本当は優しくありたくて、難しい。福祉やケアのようなことをしようとしてもそういうことは起こるから、異性で助けてくれる人がいるとすごく安心する。綺麗事ではない。私が性の話ばかりして発狂するのは、ここにある。善意だけじゃなくて、いろいろと悪気がなく緩い、無垢な、接触したいという幼児的な欲に対して、こちらがあぶないとジャッジする、以外の答えがない。変だと思ったものを変だと思って距離を置くことができない。置く。ジェンダー平等と、排斥的な考え方をやめるように訴えながら身の安全を守る。どうして。
家に精神疾患の子供がいる人からのDMが止まらなくなったりする。どうして。どうにかしたいけど、どうして。私もそうやってインフルエンサーに絡んでしまったりする。どうして。助けて欲しい。
同じもの背負えないくせに異性として私を好きになる人ってなんなの?これ以上私から何が欲しいの?と思う。なんで自分がもらえなかった話をするの?なんで自分のことしか考えないの?と思うけど、それはそういう世界でしか生きていないから仕方なくて、世界の見え方がずれていて、これは恋にカウントされるんだろうか、と、思う。
きみが見ている私は誰?つまんない日常を変えるメスならそうなんだろう。そうなんだろうな。
そりゃ、これだけ、なんとか、何かを変えたいと思っている女の子は非日常的だけど、非日常的な人間を好きになる側が、関係性においてお客さん的な立ち位置だなんて、考えたこともないんだろうな。私をいじるな、と思う。ちょっと抜けてる、適当で変な女の子、ではないよ。そういうやつでもない。私はずっと、緩やかに気持ち悪がられたり、下に見られたりしてきたけど、私の周りの頭のいい男の子は私のことを安直にいじったりしない。すごく、ちゃんとした人として扱ってくれて、リスペクトがある。こういう人たちに、ちゃんと接してもらえると、ありがたいな嬉しいなって思う。そう、私は変な人ではないから。私はずっと変な人ではなくて、まともでいたいだけなのに。なんだから変なことになる。はぁ。
大森靖子的な歌が好きだけど、そもそもこんな思いを女の子たちがしないといけないことがアホだと思うし、真っ直ぐに妊娠中絶も許せないから、普通に勉強がめっちゃできる某東大生YouTuberのことを考えるとこわくなるときがある。あれだけ頭が良くて、妊娠中絶に至るのであれば、それはシンプルに、シンプルに真っ直ぐな、他人への想像力のなさが、女性蔑視なわけで、あれだけ頭のいい人が考える、ゴムしなかったら子供ができるみたいなことが、わからないのだとしたら、普通になんなのだろうと思う。普通になんなんですか???
ひどいとか、ひどいとかじゃなくて、シンプルに真っ直ぐな女性蔑視なのかなんらかの能力が欠如してるのか、バカなのかだよね?なんかシンプルに相手女のことを大切にするヤンキーみたいなのに、時々グッとくるのはそういうことなんだよな。なんかもっとシンプルな頭の良さたれよ。
ていうか、私って、高学歴帯特有の傲慢な女性蔑視みたいなのにいつも遭遇してたけど、頭が悪くて緩すぎるあまり、シンプルに差別をしていることとか相手が傷つくことがわからない、みたいなことって本当にディスコミュニケーションだよなと思う。
自分を気に入ってくれている人に、素人童貞ですと言われて、お店ではあるんだ、はい、みたいなやり取りをした後、私が、店で女の子のことを買ったことがあることと、私としたいであろう行為の違いが、お前は説明できんの?何?と思うけど、多分考えたことがないんだろうなって、思う。男友達が、それは自分には経験がなくて自信がないってことを素直に言おうとしたんだと思うと言われて、あーそうなのか、そうなのだろうなと思った。それはいじらしいけど、それはいじらしいという、メタ的な感情と、この人は女の子が性を売っていて、女の子にとって好きではない人に対して性を売ることがどういうことかとか考えたことがなくて、自分も気持ちが良くて相手も気持ちが良くて満足させられるかどうかにしか、いじらしいほどに関心がなくて、私が感じてきた嫌な気持ちとかには、何にも関心がない。それは悪いことではないが、その無垢さが嫌で嫌でたまらなくて苦しくなる。誰も悪くない行き場のない吐き気だけが私を襲う。
もう、元いた大学院とか帰ろうかなとか思うけど、研究は好きじゃないし合ってないし、ただシェルターが欲しいだけなのだ。引きこもって縫い物か文筆ができるようになりたい。誰も悪くない人を断罪しないように私の世界で生きていきたい。はなから触れ合わなければ事故は起きない
私も他人への想像力がなくて、人を困らせている。それでも、どうしても元いた場所に帰りたい。帰りたい。踵を3回鳴らして、元いた場所に帰りたいよ。オズの国に帰りたい。帰らなくてもいいからもっといい場所に行きたい。私は、私の目から見て人に傷つけられている女の子を見るだけで、おかしくなってしまう。自他境界とかいうけど本当に無理で、でも、偉そうな顔して、かつて本で読んだ被害者女性みたいな存在が生身で現れると無理って、私キモすぎるだろとか思って、現実のすべてが無理で、目の前にいる人にあなたは傷つきすぎていて無理ですと言うことがやばいことはわかっていて、交友関係を極端に狭めるしかないと思っている。ごめん。閉鎖した場所で祝詞をあげるしかない。ごめん。
小4までコナンが見られなくて、幼い頃はサスペンス劇場の予告編を見て泣き、この世に殺人という概念があることが受け入れられず、あとなんとなく悲しい、という理由で『シザーハンズ』を見たあと、めっちゃ引きずって夜な夜な泣いた。中学に入ってできた友達が「シザーハンズかっこいい」と言ってメロついていた(ていうかジョニーデップが好きらしい)ので、「中学ってすごいらこういう人もいるのか」と思って、笑った。
なんか、めちゃくちゃ気持ち悪い(ごめん)男子としきりに自分がBまで行ったとかCまで行ったとか私に言ってきて、キツいなー、何が自慢なんだ?とおもってた中学の頃の友人のこととか思い出すと、親が自我を殺すぐらい彼女を偏愛してたりしたので、彼女にとっての性というのは、自我の主張だったのかなとか思う。
橋本治が、性はみじめさ、みたいなことを書いてたけど。こう、だからこそ秘匿されるべきで、もっといろんな感じで包まれるべきなんだけど。モロだしで、客観的に見て変な性の話をする人って、もっとひどい惨めさをかかえていて、それを塗り替えるためにやってるのかもしれないなと思う。哀れな姿だから私は見てられないのだと思う。直球。直球でごめん。
大学受験をしていた頃、私が好きだった男の子が、ある女の子をセフレにしたという噂を聞いた。いろんなことがあられも無く話されて、なんでその子がそれを許しているのかも、それがばら撒かれているのかもわからなかった。これはリベンジポルノになるし、人のフラッシュバックを誘うから書いてはいかないといわれているけど、私は私の苦しさを抱えておけない。彼女と私は別人だけど、同じ女で、私には何か他にもっと、他にもっと道はなかったのかと思ったりする。志望校には受かった。院にもいってみた。先がない。惨めな思いはしたくない。学歴の話ばかりするのは、何かに縛られてるというより、この先が欲しいということだ。悔しくて悲しい気持ちをもう感じないために、どうしたらいいんだろうか。
他人の人生を見て、耐えられないくらい哀れで傷つくというのは最も失礼な感情で、私は、私はここでこんなことを書いて、ごめんなさい。
顔をインターネットに出しているというのは私が特定されるということで、自分が傷ついているからと言ってこんなことを書いてはいけなくて、でももう10年苦しくて頭がおかしくなりそうになる。もっとちゃんと、私が、あの子が、女の子が、男の子が、大切にされて欲しい。そうだ、私はこの話の何に傷ついているかって、他人を使って承認欲求を満たすこと。他人をいかにぞんざいに扱えるかで、その人の承認欲求を満たしていたのが嫌だ。する側も、された側も。その劣等感だけを、人としての劣等感だけを見せられたから、私は目の前で残虐な行為を自慢されているみたいに感じたんだと思う。あれは暴力だ。暴力をするという合意の元の、ちゃんとしたやつでは無く、シンプルな暴力、それが大人だったら困ると思って、もう少し、もう少し先に行きたいと思う。そしてその人たちにはその人たちがそこでしか救われなかった私にはわからない事情があるから触れるべきでもない。でももう顔を合わせないと思う。最近は昔の写真をほとんど消している。同窓会にはもういかないと思う。
言葉にする事でしか超えられない。暴力は、きらいで、私にとってはなんか、ティーンの頃の記憶って本当に頭がおかしくなるくらい、嫌だった。私立にいって金払って、劣悪な環境いて馬鹿みたい。全部塗り替えたい。
こういうことばっかり言ってると、幼いって言われるから、言われてきたから、女児とか名乗ってるけど普通に倫理の話してるだけだし、なんなの?と思う。真面目な話してるといつも蚊帳の外にされたし、私が目を真っ直ぐ見ると、いつだってそらした。なんで逃げるの?逃げないで欲しい。なんで変わっちゃうの?変だよね?悔しい。幼いふりするのやめようかな。ガールとか少女とか言ってるだけで、普通にちゃんとしてないことがウザい。
吉田豪ってなんだったの?芸能みたいなものにモラルを期待するのははなから違うけど、結局アイドルと寝たり、婚約者に殴られたりしてる人が、繊細な女の子たちのカウンセラーみたいな顔でオーディションの審査員とかやってたのなんなの。そういう世の中。そういう世の中です。
なんもしっかりしてない。私のこと院進したらいいって、大学院に送り込んだおじさんは、お金持ってるから人妻でも自分のものにできる、世界中いけると言ってたけど、誰にも愛されてないだけだと思う。私が母が亡くなった後で暇だったから、いろいろと複雑で子どももいるが会えないこの人のために理想の娘をやってあげようと思って、メンター的な感じで親交してただけで、その親交のコアは哀れみだったと思う。私は彼を憐れんでいた。憐れみ。まさか憐れみを向けられてるなんて思わなかっただろうな。あーあ。最後は口説かれそうになったけど、「ひとつのことをこんこんとできるような人が好きです」と、言って、やんわりと振った時気持ちよかった。女として持っている権力を政治的に使ってしまう時が時々ある。私ってなんのためのなんなんだ??
ひとつのことをこんこんとできる人、すきだなぁ、これ、コアかも。否定から入らずに好きなものの話をしましょうと良く言われるけど、私はやっぱり、ひとつのことをこんこんとできる人が好き。これを持ってるともう誰も傷つけなくて済む、そうなんだろうな。そうだなぁと思う。
自他境界が引けずに外の出来事を勝手に見て、勝手に傷ついて、めちゃくちゃさらに傷つけることを言って被害者ヅラをしてしまう。繊細さが偉いわけでもない。紙に書いてあることで倫理の話ばっかりするのも嘘だと思うようになったし、いや、するとしても、現実にそこにそういう人がいるという事実が重くて、重いなーと思いながらやっていくんだよな。何もかもが嫌だ。誰も傷つけたくないから匿ってくれ。
でも、世界中の女抱けるおじさんのこと私本当に好きじゃなかったんだよなぁ。なんか有名人とかと付き合ってたって言ってたけどどこがよかったんだろうと思う。でも有名になる人って結構似た種類の劣等感があるしなーとか思う。私君はこの本も読んでないとかこんなんじゃダメだとか言われてたけど、でも、東大院に行けるからとかも言ってくれてて、自分にいいことを言ってくれる人と悪いこと言ってくる人がうまく分けられなかった。なんかさ、自分の元をさって欲しくないから、わざと劣等感を与えたら不完全だって言ってくる人がいるって、私知らなかったの。あーあ、年下の女の子へ、気をつけてください。
あなたって誰にも選ばれたことないのね。という殺し玉を最後まで私が放たなかったのは優しさだよ。
そういう殺さない優しさみたいなのめっちゃある。私は、性が嫌なんじゃ無くて、たとえば、自分が1人の自我のある人間だって傷口見せるようにそういう話してくる人間の、血だらけなところが苦手なの。本来は恥とか秘匿されるところと近いものを私の前で披露しなければいけない、ボロボロ具合が苦手なの。大学生の時とか、カラオケでこれみよがしに女の肩を抱く先輩とか見るとこの人昔冴えなかったけど、いいサークル入って大学入って女の肩抱いてるわとか思ってんだろうなとか、さらにシンプルに抱かれにいく友達とかもよくわからなくて、なんでそれでいいの?とか思うんだよなー。その人の承認欲求の薪みたいになるのやだ。でも同じくらいの劣等感を抱えているか、あんまり気にならないんだろうな。
なんか私は当時付き合ってた人が気に入ってくれたらいいなと、インナーカラーを入れたのに別の人から触られた時にすごい顔をしてしまってすごい顔をしてしまった自分が嫌になったけど、本当に好きなものに触れる時に人は緊張するから、触ってきた時点でその人は私のことが好きではないしちゃんと軽蔑していい。
ちゃんと軽蔑する力が足りない。
触れないで欲しい。私の人生に、極力触れないで欲しい、という結論に至る。アー。
触れられない場所に行く。
居場所と聖域

この記事は"学術バーQ・Communicative Bar & Cafe HANABI Advent Calendar 2024"9日目の記事です!(ごめんなさい、出遅れました。)
学術バーQ・Communicative Bar & Cafe HANABI Advent Calendar 2025 - Adventar
やー、昨年のアドベントカレンダーを書かせていただいてから1年が経ちました。
"その贅沢"どこで買えますか? (Communicative Bar & Cafe HANABIのこと) - チョコレート通信
1年経って、当時、お客さんだった私は、豆腐店長の寛大さにあまえ、HANABIの間借り営業をさせていただいたり、時にはヘルプスタッフとして立ったりしています。時折気性が荒くなり、インターネットで怒りを発信し、個人的にもいろいろリスキーな側面もある私を、箱庭に置いて下さる店長や、お客様には、感謝をしても有り余るものがあります。
最近は、アルバイトをして、カウンターに立つ、以外のことはほとんどやっておらず、外界には出ていない。まるで巫女のような暮らし。なるべく聖域の中にいて、聖域を増やしていきたい、という気持ちがあります。自分の安全だと思う水槽で生きていけたら、どんなに素敵なのでしょう、と思います。
本当は、外の世界には興味はなく、あとは、しっかり一生分の空気を吸った後、このまま目を閉じて、息を止めて、ただただ深く深く内側に潜れたら幸せだ、と思います。他者との心をひらいた対話とか、真摯に書かれた文章を書いたり読んだり、何かを学んだりする営みにはそういうところがある気がします。私たちはひとりひとりが違うけれど、それでもなんとか、なんとかみんなが豊かなほうにいくことって、できないですか?と思います。
役割演技で話す会話はあんまり好きではなくて、お互いが向き合って、その輪郭を溶かし合うような営みの方が好きです。私とあなたが異なる、ことによって、その、あなたをわかりたいと思う気持ちと、わからないという謙虚さ。わかったと思いすぎたと思う後悔。そういう、寄せては返す、自分の傲慢さと、好奇心と、欲望、愛とか、慈悲とか、賢さとか、愚かさとか、そういうものを持ちながら、他人の中に飛び込んでいくこと。もしくは、私とあなたの間にある、プールのような場所ですこし、遊ぶこと。
それは、勇気でもあり、極めて、軽蔑されるべき行為でもあると思います。そんなことが、私はしたい、と思うことがあります。そんなことばかりです。そうやって、誰かのことを、嫌いじゃないな、と思って、いいなぁと思って、誰かと過ごすことの幸福を感じて、残りの人生を生きられたらいいのに、と思います。叶いますか?私はその度合いがとても強い方だと思うので、時折その火力を調整しないといけない時があります。それでも、そのいちばん深いところを見てみたいと思います。東京では、高い場所に住むのが流行っているけど、深いところに住むのは流行らないんだろうか、と思います。絶対値逆のタワマンってなんですかね?地下帝国でしょうか?
どうやら、外側の世界は、まるで戦前のようだとか、まるで末法のようだとか…あー、ノストラダムスの大予言って…まだありましたか?というほどに、今の私の目には暗いものしか見えないように感じられます。果たして、私たちはどうやって、聖域を守ったらいいのだろうと、呆然と思ったりします。
細い紐を撚り合わせるように、マッチを絶やさぬように継ぎながら小さな蝋燭の火を守るように。それほど"贅沢"は言わないのだから、安全だと思える場所で、信頼できる人と、お酒を飲んだり、ごはんを食べたり、おしゃべりができたらいいな、と、私は思っているし、私の周りにいる人たちも、遠からずなことは思っている気がします。そうですよね?
友人の家で食べた、イル・キャンティのドレッシングが美味しかったとつぶやけば、ドレッシングを買ってきて差し入れしてくれるお客様がいる。
ふるさと納税で手に入れたたらこを、みんなで食べてね、って、差し入れして分けてくれる人がいる。代々実家で作ってきた、伝統的な料理を振る舞ってくれる人がいる。そういうことが嬉しくなります。そういう優しさが嬉しくなります。
この店に立つ前、7〜8年前からスナックを始めたのは、この凄惨と、殺伐とした、世界には家庭と母性が足りないから、自分がその依代になろうと思って始めたことでした。すべての人の話を聞いて、すべての人に優しくしようとして、すべての人に寛容になろうとして、そのことが無理だと悟ったり。包摂とはどういうことなのかを考えたりして、迷いながらやってきた気がします。自分の輪郭をどこまで人に明け渡していいかがわからず、困惑していたような気がします。母性や女性性、寛容さ、みたいなものと、個人としての理念みたいなものとか安全圏の境界でいつも揺らいでいました。
最近は、玄関に置く盛り塩って先が尖ってるよな、とか、友達からもらった出雲大社のお札の先が剣先のように尖っているよな、ということを思って、そういう、結界を張る強さも、身につけなければならないのかもしれないなと、思ったりします。
揺らがない強さと、やわらかさやしなやかさ、私たちは、この両面に支えられているところがあると思います。堅実で確かなものと、知性のあるやさしさが何かを変えうると、変えるとまではいかなくても、笑笑 そういうものが守れたらいいなと思うことがあります。
この内側で起こることが夢なのか、外側の世界が夢なのかわからないけど、私たちが生きている間に、見ている時間はなるべく、きれいであたたかくて、人というものを信じられるものであったらいいなと思います。少しでもこの世界が続きますように。やわらかく、しなやかで、そして骨太な結界が、続きますように。
すべての人が、心地よく眠れますように。
ご飯を食べて、きれいな部屋で過ごして、楽しく人と話して、心地よく生活できますように。そういう気持ちで、生きていけたらいいなと思います。自分の軸を持つことも、聖域を守るために必要なことなんだろうなと思います。
永遠ってこわいかなぁ。
私はそういうの好きです。
結局、父権性への渇望だったと思う
なんか、学歴が欲しいとか、会社建てなきゃいけないとか、いわゆる都内の大きな会社で働くキャリアウーマンになりたい(ならなくては)とか、そういうのって、私の欲望じゃなくて、父の欲望だったんだと思う。自分の父親の欲望なのか、もっと大きな意味での父なのか、結局根底では繋がっているんじゃないかと思う。
とにかく、力が欲しかった。なぜなのかわからない。力があれば、安心できると思った。私は、安心が欲しかったのだと思う。安心が得られないのは、健全に父権制が機能していない環境だったんだと思う。
私の好きなものは、料理や裁縫やお花やお菓子とお茶とか。少女小説とか、女の子の領域とされるものが好きだ。その中で生きていけるなら本当はその方が良かった、と何度も言っている。
でもそれではダメな気がした。それではこの社会で生きていけないと言われている気がして、家にも、社会にも、自分の好きなことができる居場所がないな、と思いこんでしまった。本当にしたいことは、部屋に篭って、手を動かしていたい。何かを作ったり、大事な人を迎える準備をしていたい。祈りを手元に込めている時に幸せになる。
それから、私は、家族のトロフィーであろうとした。母は僕のプリンセスで、僕に全て捧げてくれた母のために僕は母を死ぬまで幸せにしなくちゃいけないんだと思ってた。でもそれって、父親が不在だったから、私が母をプリンセスにしてあげる役割が回ってきただけですよね。母に一生醒めない夢を見せてあげようと思った。
思春期に好きになった男の子はトロフィーみたいな彼女が欲しそうだったから、私は好きな人に好かれるためにトロフィーを目指してた時期があった。好きな人に好かれないならとおもって、私は"相手のために"トロフィーを目指していたが、それは私の父に対する態度のコピーだったのかもしれない。
結局トロフィーみたいな彼女がほしい男の子も何かしらの父権制とか力に憧れていて、その誇示とか自身として、美女やカーストの高い女の子を使いたいわけで、私は当時そういう女の子たちになれたら、と思って一方的にウジウジしていたが、それって多分そんなにいい扱いでもないよな、舐められてるよな、と思ったりする。
トロフィーみたいな妻や彼女がほしい人は、結局トロフィーになりたい女と同じゲームをしていて、同じゲームをしているから私は彼を好きになって、同じゲームをしていたから嫌われたんだろうな。と思う。女だけど私は父権のレースにずっと出ている。
女の子にとって、男の子のトロフィーになるあり方と、この社会の中で父権制に認められるような意味でのトロフィーを目指すことって引き裂かれることになる。
目立たない方がいいとか、男の子を超えない方がいいとか、娼婦は寵愛と侮蔑の視線を両方もらうとか、あと、結局欲情されてるのはこちらなのにこちらの身体の魅力は罪深いものとされる。男の筋肉は努力の結晶になるが、女の胸は、魅力と罪深さと、ミスマッチの相手からの視線をもらうし、アンビバレンツになる。
雨宮まみが「女子をこじらせ」た理由は、父権性への渇望によるものではないかと思い始めた。AVライターとして、男と同じように女を眼差す側でありながら、女として女優たちを嫉妬と憧れの対象にして、自己侮蔑を始めたりする。父権を内面に持ったことで、引き裂かれそうになる姿が雨宮まみの中にあると思った。彼女の姿を借りて、私は自己内省をしていく。
私の母は全てのことが怖くて、常にテレビのニュースや不審者情報に怯えてて、地震や災害に怯え、保護者会を怖がり、友達がいなかった。母は世界に怯えていた。そのことを私は馬鹿にしていた、父も馬鹿にしていた。でも、それって父が母に安心を与えなかったからなんじゃないかと思うんだ。
僕は母の王子様じゃないし、母は何十年も生きているのにプリンセス気分で、そのくせ、家で家事をしている姿は私が将来なりたい姿とも思えず、自分には何か特別な人生が用意されているかもしれないと期待を寄せることしかできなかった。目の前にある道があまり幸せそうに見えないから、もっと大きな幸せがあるんじゃないかと思う、それが私の流浪の原因だった。
母は、自分の人生を生きてないし、結局自殺とかして、僕の人生を邪魔してくる。自分の人生を自分で耐えるだけの力がなかったし、彼女にそういうエネルギーが溜まってしまうのは、配偶者や彼女の育った方の家族にも問題がある。多分僕のママには自我がなくて、最初で最後にした「イヤ」が、発狂と死だったんだろうなと思う。結局僕の母って、「大丈夫、きみはぼくがすきだよ」を言って欲しかったんだと思うんですよ。蜷川実花の『人間失格』の予告編に出てくる小栗旬のセリフで、私は多用する割に本編見てないな。見るか。
言えばよかったな。「僕はママを裏切らない」より、「大丈夫、きみはぼくがすきだよ」の方が権力関係逆になるからよかったかもしれない。多分、広義の父性が欲しかったんだよな。世界中の不安から、守ってくれるような盾を求めてたんだろうな。そんな盾なんてないから、母も祖母も、世界への不安を私に注ぎ込んだ。テレビのニュースでいたたまれない事件があるたびに「東京には怖い人がいるから気をつけてね」と言った。
だから、事件や事故や天変地異のいたたまれなさを1人で引き受けることもできなければ、それに対して何か行動(ボランティアとか)をすることもなく、ただただ子どもを心配しているというテイにして、私に感情を注ぎ込んできた。だから私は世界のすべてを変えないと行けないのではと思って、誇大妄想を抱き、変になっていた。
この世界が安全なら、私は縫い物と料理とおしゃべりがしたい。世界の綻びをなおしたり、全ての人に優しくしたりするのはイチ人間がやるには到底無理だ。
私が人間のくせにまるで神様みたいなふりをしようとしたのは、衣食住に教育までセットでもらったが、あえて言えば、人間扱いされてなかったということなのだろう。人間扱いされておらず、世界の不安を注ぎ込まれた。私の安全を守ることで救われた気分になりたいという、世界への不信感の混ざった愛情をたくさん注がれた憑代だったから、自我を持つことが罪だと思ってしまったんだと思う。本当は父性が守らなければいけなかった、世界の健全性が、その不在によって、子どもを祈りと呪いとして縛りつける。
母は、僕のことを呪ってくる。以前クリスマスに友人に呼び出されて、「『呪術廻戦0』を見てほしい、あなたに乙骨を紹介したい」と言われて、前知識一切なしで見たけど、普通に乙骨側の目で見てたな。リカちゃんに母の幻影を見たし、一緒に見た女も母を自死で亡くしているので、「純愛だよ」のシーンでみんな、『フルハウス』とかで笑い声が入る演出みたいに「おぉ〜」って言ってたけど、「普通に我々は乙骨側では?」と思った。メンヘラの母を持つと娘が乙骨になるんだと思う。乙骨のことを同業者だと思ってるからな…。

オタクの塔と化したシブツタに置いてあった乙骨のフィギュアを見て、別の友達が「やっぱ乙骨は顔色が悪そうだよ」と言っていて、本当にそうだなと思った。その後に「デンジくんを見習いなさい!」と言っていたが、彼女の視点の先にあるデンジくんは、顔がチェーンソーになっていて、こっちはこっちで難しいことになっていると思った。「デンジくんはイキイキしており、大変よろしい」と言っていたが、イキイキしていたのかは謎である。 話が逸れた。
風の噂で乙骨が別の女と結婚して子を設けたという話を聞いたが(大学のサークルの先輩みたいな扱い)、幸せになってくれ、乙骨の幸せが我々が幸せになる道、と思っている。
結局、父親たちがちゃんと母親の不安を拭わないせいでこんなことになってるんですよね。本来父権も母権も大事な人を守るためにあるのに、安心みたいなものを求めて外にあるカリソメの父権みたいなものを追いかけて、大事なところがお留守になっている。馬鹿げている。
女をメンヘラとか心配性と言うが、起こっている出来事を直視せず躁状態で何か成し遂げた気になってるような父性は、逃げでしかなくて、どれだけ外側から見てエネルギッシュに見えていようと、大事な部分が抜け落ちている以上は、それは弱さでしかなく、健全な父性とは言い切れないのではないか。
母は父の、細かいことを気にしないところを、安心だと思って気に入ったんだと思うが、それは、大胆さではなくて、「すべてのことを見ないことにする」「いい顔だけしてたい」という、幼さからくるものだったんだと思う。
世界のどうしようもなさにちゃんと向き合って、その上でそれなら自分が盾をやると決めること。何かを変えようと思うこと。父は部分的にはそれを仕事で成し遂げようとしていたんだと思うが、結局のところ、父親自身が母親に愛されたかった、安全基地が欲しかった、自分を否定しない楽園が欲しかった、という部分が年々顕著になっていき、結局、大きな意味での父なるもの、みたいなのに対するリスペクトがない。
大きな意味での父なるものに向かう時(それは真実とか現実とか、痛みとか後悔とか、その上で自分たちができることを信じることとか、シビアさとかリアルとか)、別にそれは私の父自身を否定することにはならないのだが、どうにもこうにも父はそこへ向かえない。向かっても死なないのに。
それはまだずっと胎内にいたいということで、マザコンを拗らせてるんだなと思う。自分を否定しない楽園で、妻のことは顧みず、王様ごっこをやっていたい。なんと幼稚な!!
幼稚な人間が父親として尊敬されることはない。解釈というのは後から変わっていくから、かつて私と父が仲が良かったことも事実だが、私の年齢が母に近づいていくにつれ、父が母にやってきたことが、より顕著にわかるようになる。娘は母の代行者として、父を傷つけなければならない。そして私は息子でもあるから父殺しをしなければならない。
父親はこの期に及んで、母に関する全てのことから逃げ続けて死ぬつもりらしいから、それなら私の人生から撤退していただくほかない。母に対する態度や自分のありようを自己内省するつもりがあるなら、先行きはあるけど、たったそれだけのことが死ぬほど怖いんだろうな。
やっぱり、私は父に認められたかった、父親に、それからこの社会の中にある父権性に。でも、それは私の欲望ではなくて、本当は全然興味がなくて、それ以外のことがしたいのかもしれない。実家を出て自分だけの場所を得た時に、なんだか、すとんと楽になった。
見栄とかの向こう側で自分の実感を持って、幸せだと思えることを大事にしたい。
私はこのゲーム、降りさせていただきます!
