チョコレート通信

こちら、チョコレート通信編集部です。

真摯なものが見たかっただけ

主体性のようなものを遅ればせながら得、他人を泣きながら否定してみんなが傷つく、言ってはいけないことを言ってしまう、みたいな状態が長らく続いた。

 

それは、何かの移植手術をしたあとの好転反応のようなもので、私の中身は溢れてしまいそうになっていた。友達でいること、仲良くすること、ずっと一緒にいること。気にかけること、よりも、優先していいことがあるなんて気がつきもしなかった。

 

私は私がわからない、他人を傷つけないようにしたらいいのか、人として傷つけなければいいのか、女として傷つけなければいいのか、わからなくなる。女として人の期待に応えなくても、その人が具合が悪くなってしまったり、死んでしまったりしたらどうしようとか思うと、何がモラルなのかわからなくなってゆく。知らないよ、という感じだけどね。

 

どうしたらいいんだろうと思う。女子どもに与えられる役割をやらないのなら、私はもっとつまらなそうな顔をしていると思う。笑顔でいるのは誰も傷つけたくないからで、本当は、人が取った選択肢に、興醒めしたり、苦しくなったりすることがある。

 

なんというか、母性みたいなものも引き受けられないなと気がついてきた。何もかもが面倒臭い。人に承認を求めず、みんな自分が満足いかせたいものを満足いくまでやること以外で満たされることっていうのはないのではないかと思った。

 

恋愛ってくだらないと思う。結局同じ盤をシェアしてない人とは噛み合わないし、先行きもない。友達になることもない。ロマンスよりもシビアなのは、その人がそこにいる地点が、相手とどれだけ噛み合ってるかでしかなくて、誰のことが好きかとか、お金持ってるかとか、スペックがどうかとかより、それが大事だと思う。世界観が噛み合ってるかでしかないと思う。

 

あと、全然違う世界観に流されるのが楽しい時は、それくらいのエネルギーが相手にあるときだけだよなぁと思う。

 

結局自分が普段いる友達とかと、相手が噛み合うかでしかないと、馴染むかでしかないと思う。女の子だから、という理由で人に好かれたところで面倒臭いなという結末に至る。特に面白くもない。不用意に人を傷つけたくないので、あんまり余計なことはしないでいいかなと思う。冷やかしで受験する会社や学校は、双方にとって失礼だと思うから。

 

なんというか、はなから決まってることって結構あると思う。私は女の子みんなに優しくしたい友達でいたいと思ってたけど、数年前に目撃した、ちょっと車に轢かれそうになって「チッ」と舌打ちした女の子のことが忘れられない。

 

その子は「お母さんヤンキーだったんで」と言っていたが、ギョッとしてしまって、数年私の心に残っている。そういうことなんだろうなと思う。

 

こうやってまた主体性で人を傷つけている。人を傷つけないように、自分の中に潜るんだろうなと思う。あまり外に出ないで生涯を送ろうと思う。

 

車に轢かれそうになっても、そんなに動じずに、「虫のいどころが悪かったのかしら?」というくらいの方がエレガントだ。

 

お母さんがヤンキーで、自分も舌打ちをしているということを肯定しないと倫理的に間違っているかと思ったけど、やっぱり苦しい。彼女が嫌とかではなくて、多分なるべく上品でエレガントな方を目指していきたいと思うのだ。

 

そう思うのだ。

 

全然そうじゃない部分の方が多いけど。それでもそちらを目指してないと傷ついてしまう。

人が多く集まった催しとか大人数の飲み会とかで、他人の靴とかを気にせずにどんどん踏み潰していく人を見ると泣きそうになることがある。

 

心の奥がめっちゃ傷ついて、その情景が忘れられなくなる。何かの夢なんじゃないかと思う。

 

そのくせ、私の部屋は綺麗じゃないけど。でも、そういう、嫌なことを嫌だと言えない弱さが、こういう綺麗じゃない部屋を生み出してるんだろうなと思う。

 

だって靴を踏み潰していくなんて、ものすごく品が悪いじゃん。それは弱いということで、品が悪いものを品が悪いというのは弱いものいじめだから良くないかなぁと思ってたんだけど。

 

でもね、めっちゃ苦しい。そう言えば最初に予備校のバイトを辞めたときも、そんな理由だったなと思う。そんな理由だったな。

 

私の人生は私のものだから、人を嫌ってもいいし、視界に入れないものを決めてもいい。

 

私くだらないかもだけど、なんか、なるべく綺麗であろうとする方向に向かう方が好きだ。

 

人のことを嫌いになりたくないから、いい料理とか、いい縫い物とか、いい言葉とか、そういうことを頑張っていこうかな。ケアとか言ってたけど、関係性そのものより、絶対的な丁寧さとか、倫理的な態度、とか、もっとなんか概念めざした方がいいんじゃないかと思った。

 

母が自死したことを気に病んで、人のことを全て肯定しなければいけないんじゃないか、と思っていたから、スナックとかバーのカウンターに立ったりしてたけど。いろんな男性の自己主張というか、俺の頑張ってきた演芸、みたいなのを見て、苦しくなっていた。だって素敵じゃないし、この人たちのお母さんじゃない。それでも、この人が今社会に居場所がなくて誰かにその存在を受け取ってほしいと思っているならと思って、私は私の命の時間を削って聞いていたけど、それってやっぱりおかしい。おかしいのだ。みんな人に聞かせるなら一生懸命やんないといけないし、人に聞かせるとかじゃなくて自分のためにやんなきゃいけないんだ。だらしない男の人の犠牲に、私がなる必要がない。だらしがないのである。それは欲しがりすぎである。わたしの関心までは上げられない。ご飯を食べて、お風呂に入って、あたたかい布団で寝てほしい。幸せでいてほしい。そう願うだけで、そう願うだけで良いでしょうか?男の人に生まれたことがないからわからないけど、それでも存在意義とか、俺の俺たる所以みたいなのを見てほしいのかな?でもそれってなんか、性欲なんだよなぁとかもシンプルに思う。求愛行動みたいな気持ち悪い音を聞かずに、私は美しい作品だけ見て、美しい作品のレビューをする。なんというか、そうあるべきだと思う。先人たちの素晴らしいもので私の目と心は潤されるべきで、今生きてる人間のエゴに塗れた自分の存在意義を確かめるような、謎のプレイに付き合わされる必要はない。女というのには枠がないように思えた。幼稚園の先生のように笑顔でいないといけないと思った。でも本当は嫌だ。私は私の見たいものを見る。見たいものを見て、そういうものがよかったよって話をしたい。結局「よい」ものの良さの話をしたり、もっとよいものを後世に残していくしかないのに、みんな自分がすごいと思われたいことで精一杯で気持ちが悪い。どうしてこんなに幼いんだろうと思う。大人が幼いなんて算段に入れてなかったし、私は若い女の子ではあったが、そういう存在に甘えてくる大人の男の人というのが、ここまでひどいとは考えても見なかった。幼児である。

 

若い女、もしくはロリ、みたいなものって主体性がそんなにないから実質自己の輪郭が緩いから、母のようなものだと思われている気がするし、魔法少女的な巫女的なもの、アイドル的なものもそういう特性を持っているから、私は善良なヒロインでいたいという想いから、引き受けすぎてしまった。あなたの楽器って、下手ね!あなたの料理ってまずい!あなたの小説はゴミ!なんていう魔法少女は見たことない。見たことがないね。でもそうなりたい、巫女ではなくて個人だから。

 

求愛行動をやめてほしい。周りを巻き込んでステージングするのもやめてほしい。一生懸命努力してほしい。あと自分が脚光を浴びたいんじゃなくて、自分の中で、美しいと思うものとか、到達したい地点とかがわかってないと、ダメなんだ。そことの比較で自分と勝負するのに、体当たりみたいに、変なもの人に見せたらダメなんだ。書いてて思ったけど、これって思春期以降の認められたいとかではなくて、お母さんに見て見て!ってやるのと同じなんだよなぁ。彼らが肯定されるのはもっとこの社会の人権意識とか、仕事以外で受け止められる場とかで、私に精神的ちんこを押し付けてくることではない。しんどかった、つらかったやっぱり。でも、ずっと周りが優秀な人に囲まれてきたから、興味の有無に関わらず、大学の文化祭に行けば、プロフェッショナルのプロフェッショナリティが輝いていた。

 

男子チアは、男の子たちの身体が鮮やかに宙を舞い、バスケットボールをアクロバティックに動かしてダンスをするようなパフォーマンスサークルの子達はドリブルの音を心地よく鳴らす。ミュージカルでは照れることなく完璧に真剣にやり切る。そこには、おじさんの手慰み、みたいな感じが一切ない。私は人間のベースのレベルをここだと思っている。多分それがずれていたんだろうけど。

 

子どもの時にパパの会社のパーティーで、下手なマジックを披露した人がいて気持ち悪いと思った。パパには、あの人プロなんだよ、と言われたけど、みんなが気を遣って見てた時点でプロではない。男の人のこういうものが本当に苦手で、子どもの時から大嫌いだった。なんでこうなるのかわからない。何かがずれている。

 

飲み屋のバイトを始めた時もそこの社長が新店舗オープンで下手なトランペットを披露したことがあり、びっくりした。これでいいのかと思った。

 

なんというか年長の男の人って、主観と客観がものすごくずれている人が多い気がして、辛くなる。私は傷つけたくないからたくさん嘘をついた。

 

でも私が私を傷つけているように思う。女だからとか男だからとかも関係なく、私は好きではないものに時間を使わなくてもいい。私を縛り付けていたのは、そういう、未熟な年長の男性たちの依存心で、それを断ち切ることができなかった。哀れすぎて。そして私が悪い子になるのが怖くて。

 

でも、思うのだ。なるべく、なるべく上品であろうとしたり、なるべく上手くなろうとしたり、シンプルにかっこよくあろうよとおもう。

 

女はいつも観客にされる。求愛行動の通過地点にされる。でもこちらはこちらで目指すものがあったりするし、別に人に見てもらわなくても良かったりする。なのに、レベルの低いものが遅いかかってくる。やめてほしい。

 

自分の中の悔しいとか、ダサいかもとか、そんなに激しくなくても、純粋に他人に喜んでほしい──でもこれ思ってるのか多分──みたいな気持ちを大事にしてほしい。母親じゃないと喜ばないレベルのものをまだ愛されると思って、稚拙なまま丸出しにしてる人を見ると哀れに思う。頑張ってほしい。ちゃんと幼児を卒業してくださいね。と思う。

 

わたしは愛されたいという需要に応え続けるとキリがないことに気がついた。ダサいもん。ダサいものは愛せない。むしろ、自意識が強くて、本当はすごいのに、それを隠すような子たちとばかりいたから気が付かなかった。恥がない人間の面倒を見ると、限界までゴミのようなことに付き合わされる。

 

魔法少女はこんなことは言わない。こんなことは言わないから、魔法少女になれなくなる。こんなことで魔法少女にならなくなるなら、魔法少女ってなんなんだと思う。レベルの低いことすんなっていってんの。

 

ちゃんと大人になってください。大人になんか一生なれないから、すてきな大人になろうとすることがずっと若くチャーミングでかっこよくいるために必要なんでしょう。

 

傷つけてもいいからいう。見限る!!!

 

そして、この主体性が他人をもう傷つけないように、私は私の人生をやっていく。誰かの鑑賞役をやめる。誰かを喜ばせるために笑わない。"女"をやらない。わたしがやりたくてやったんじゃないの。悲しませたくなかっただけなんだけど、もう限界!!!

 

私は私が見たいものみる!連続テレビ小説とかたくさん見る!そんな来年にしたいな。ママが死んでから10年!の私!おつかれさま!!!バイバイ!!! あと何の覚悟もなく幼いまま突撃してきた大人の男性陣!!!死ぬほどダサかった!!!!!憐れまれてたよ!!!!!

私は何も応援したくない、何も褒めたくない、何も肯定したくない。もしそれが女なら、女を辞めたい。女でなくなってもいい。女をやるなら、私のやりたい女をやる。中原淳一の描くような女の子になりたいな。

 

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ちらし寿司うまいでしょ。こういうのつくってみせて。だるいことしないで。自分の承認のためじゃなくて、純粋に他者にささげて。気持ち悪い事を今すぐに辞めて。そういうものに触れないように残りの数十年は生きていく。高みを目指すしかなくて、美しいものしかなくて、美しくないとしてもなろうとしたものや真摯なものは胸を打つから。

 

そう!そうなんだよ!巧拙じゃない。真摯なものは胸を打つんだ。真摯なものを見せてくれなかったね、という事を思っているのかもしれない。私が甘やかしたから?私が真摯じゃなかったから?わたしは優しさに真摯だったよ。迷ってたけど。

 

わたしに見せるものに、真摯であってほしい。

わたしに見せる生き方に、真摯であってほしい。

真摯であってほしいと、思っている。

真摯なものだけが、わたしの前に現れる、2026年でありますように。

 

願わくば、わたしが死ぬまで、ずーっと。

もう辛い思いはしたくない。

自分にさせたくない。